
施術録の不実記載──「部位を変え続けることで療養費を不正に請求していた」との処分理由。事実を重く受け止め、僕は5年間の療養費中止、1年間の業務停止処分を受けた。
監査の1週間前から眠れず、行政職員の患者宅への訪問に震え、接骨院の窓に石を投げ込まれたあの日。信頼してくれた人たちへの裏切りと、自分の愚かさに打ちのめされていた。
でもある日、不思議な感覚が僕を包んだ。
──「立ち止まっている今が一番怖い」
失うこと、叩き落とされること、裁かれること──それよりも何よりも、「自分が今変わらないこと」の方が、よほど恐ろしかった。
それは勇気じゃなかった。
ただ、わずかな“希望”だった。
そんなとき、僕は地方厚生局に電話をした。
「柔道整復師としての業務停止中ですが、機能訓練指導員として働くことは可能ですか?」
「はい。機能訓練指導員としては勤務可能です」
その答えは、僕の心に、微かな光を灯した。
しかし現実は甘くなかった。
当時、青森市には機能訓練指導員の求人がほとんどなかった。
「なら、自分でつくるしかない」
そう思った。
ただ、自信も金も無かった。
そのとき、友人の連帯保証人として弁償しろとの内容証明が届いた。各方面から業者が訪れ、僕は逃げられなかった。
でも負けたくなかった。
後退はしたくなかった。
厚生局に確認し、機能訓練指導員として働けると分かったものの、実際にその道が開けるまでには約3年ほどの空白がありました。
その間、保険が使えない状態で自費による整体施術を試みましたが、当時はまだ「自費の接骨院整体」という文化が一般的ではなく、来院される患者さんはほとんどいませんでした。
毎日、玄関を開けては誰も来ない日々が続き、「ここで終わりなのか」と何度も思いました。
そんなときに庭先に飛んできた一匹のとんぼを見たとき、胸に浮かんだ言葉がある。
僕は、日本政策金融公庫に融資を申し込み、面談を経て、融資が実行されたその日、膝から崩れた。(2012年9月末)
しばらく立ち上がれなかった。
泣いているのか、笑っているのか、自分でもわからなかった。
ただ一つ言えるのは、
あの時確かに、“わずかな希望”が僕を動かしたということ。
どん底にいた僕の耳に届いたのは、
熱血の言葉でも、人の応援でもない。
──「もう一度、人のために働きたい」
その静かな決意だった。
けんじ接骨院|澤田賢二
国家資格25年、整えを哲学にする柔道整復師。行政処分と再起、そして法人破産を経てなお、整えることを諦めない人生を歩んでいます。
▶ 続きはこちらから:整え再起録 第1章-2|介護の希望はどこにあったのか

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