整え再起録|第1章1 希望は、壊れた場所に灯る


整え再起録 章1-1

僕はかつて、柔道整復師として重大な行政処分を受けた。(2009年10月初旬)

施術録の不実記載──「部位を変え続けることで療養費を不正に請求していた」との処分理由。事実を重く受け止め、僕は5年間の療養費中止、1年間の業務停止処分を受けた。

監査の1週間前から眠れず、行政職員の患者宅への訪問に震え、接骨院の窓に石を投げ込まれたあの日。信頼してくれた人たちへの裏切りと、自分の愚かさに打ちのめされていた。

でもある日、不思議な感覚が僕を包んだ。

──「立ち止まっている今が一番怖い」

失うこと、叩き落とされること、裁かれること──それよりも何よりも、「自分が今変わらないこと」の方が、よほど恐ろしかった。

それは勇気じゃなかった。
ただ、わずかな“希望”だった。

そんなとき、僕は地方厚生局に電話をした。

「柔道整復師としての業務停止中ですが、機能訓練指導員として働くことは可能ですか?」

「はい。機能訓練指導員としては勤務可能です」

その答えは、僕の心に、微かな光を灯した。

しかし現実は甘くなかった。
当時、青森市には機能訓練指導員の求人がほとんどなかった。

「なら、自分でつくるしかない」
そう思った。

ただ、自信も金も無かった。
そのとき、友人の連帯保証人として弁償しろとの内容証明が届いた。各方面から業者が訪れ、僕は逃げられなかった。

でも負けたくなかった。
後退はしたくなかった。

厚生局に確認し、機能訓練指導員として働けると分かったものの、実際にその道が開けるまでには約3年ほどの空白がありました。

その間、保険が使えない状態で自費による整体施術を試みましたが、当時はまだ「自費の接骨院整体」という文化が一般的ではなく、来院される患者さんはほとんどいませんでした。

毎日、玄関を開けては誰も来ない日々が続き、「ここで終わりなのか」と何度も思いました。

そんなときに庭先に飛んできた一匹のとんぼを見たとき、胸に浮かんだ言葉がある。

不退転

僕は、日本政策金融公庫に融資を申し込み、面談を経て、融資が実行されたその日、膝から崩れた。(2012年9月末)

しばらく立ち上がれなかった。
泣いているのか、笑っているのか、自分でもわからなかった。

ただ一つ言えるのは、
あの時確かに、“わずかな希望”が僕を動かしたということ。

どん底にいた僕の耳に届いたのは、
熱血の言葉でも、人の応援でもない。

──「もう一度、人のために働きたい」

その静かな決意だった。


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けんじ接骨院|澤田賢二

国家資格25年、整えを哲学にする柔道整復師。行政処分と再起、そして法人破産を経てなお、整えることを諦めない人生を歩んでいます。

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